最近、毎日のように色んなイベントに参加するため、初めて知り合う人が多いです。
初めて話すときに、「休みの日は何をしているんですか?」「何して遊ぶんですか?」という質問をされることが多く、いつも回答に困ってしまいます。
趣味という趣味はないし、読書はするけれど休みの日だけではなく、、、
何もない日はご飯も食べずにずっと寝ています。
休みの日に何をしているか思い出してみたのですが、なんもしてないな〜と思います。
「普段なにして遊んでいるんですか?」という質問だったり、「大学生なんだから今のうちにいっぱい遊んどきな!」というお言葉をよくいただくのですが、最近良く思うのです、”遊ぶ”ってなんなんだ!!何をしたら遊んだことになるんだ!と。
自分自身の「遊び」のイメージとしては、カラオケ、ボウリング、ダーツ、ビリヤード、麻雀、ユニバやディズニーランドに行くなどがぱっとでてきます。そういった遊びは年に1、2回しかしません。
「遊び」とは何か、wikipediaで調べると、
遊び(あそび)とは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。類義語として遊戯(ゆうぎ)があるものの、原義は大きく異なる(後述)。
遊びは、それを行う者に、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす。ただし、他者にとってその行動が何を意味するかは問わないのであり、たとえ他者への悪意に基づく行動であっても当人が遊びと認識するのであれば、当人に限ってそれは遊びである(むろん、他者はそれを容認しない)。【wikipedia】
まとめると、「遊び」とは心を満足させることを目的として行うものであり、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などの利益をもたらすもの。
つまり、読書もカフェ巡りも映画鑑賞も青空の下でぼーっとするのも「遊び」になるのかな、、、
「遊びに行こ!」という言葉を大学生になってからめっきり使わなくなりました。
「遊びに行こう」が「ご飯を食べに行こう」「映画を見に行こう」「ボウリングに行こう」などの具体的なものに変わってきました。
これが何で起きているか考えるために、小さかった時のことを思い出すと、その頃は確かに「遊びに行こ!」と誘ったり、直接友達の家に行って「あーそぼ!!」と声を一軒一軒かけて言っていました。
つまりこの頃は、何をして遊ぶかは事前には決まっていなくて、人が集まってから何をして遊ぶか決めていたのです。
何人かで集まって新しい遊びを考えて生み出したりもしていました。
小さい頃は遊び方が無限大にありました。
その頃の方が今より「遊んでいた感」があります。日が暮れて、帰るときの寂しさもありました。
大学生になった今は、目的がないと友達を誘えなくなっているなと感じます。
目的もなく「遊ぼ!」とは言えなくなりました。
小さいころの行き当たりばったり感はすごく楽しかったです。
1人が2人に、2人が3人へとどんどん人が増えていく、いろんな家を回りながらみんなで何をして遊ぶか決めて行く感じが好きでした。
「ばいばい、また明日!」が「お疲れ様!」になったのも少し寂しいですよね。
そんな感じで「遊びってなんなんだ!」と感じる1日でした。
みなさん、休学しても東広島にいるので遊んでくださいね〜
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