ここ最近、「将来何になるの?」「将来何するの?」「卒業後はどうするの?」 と聞かれることが多いです。
来年度で大学も卒業なので、それは仕方ないことではあるのですが、 何か違和感を感じ始めたので少し書きます。
目次
何者かになれという圧力。
「卒業したら何するの?」という質問は、 「卒業したら、大学院に進むの?就職するの?就職するならどんな業界なの?」 ということを意味することがほとんどです。
進学するか、就職するかしか答えたらダメ、それ以外の選択肢なんてないよね?という圧力を感じます。
「何がしたいの?」=「どうやってお金稼ぐの?」
『卒業したら何するの?』に対して、 「中学校の先生になります!」とか「公務員になります!」とか「商社で働きます!」というと 『そうなの?頑張ってね!』と応援してくれるでしょう。
「いや、まだわかんないです。」とか「シューカツはしないです。」とか「フリーターしながらやりたいこと探します。」というと、 『もう少し将来のこと考えたほうがいいよ?』と言われるはずです。
「卒業したら、海外で2、3年仕事見つけて暮らします。」とか「卒業したら起業して自分で食べていきます!」というと、 おそらく止めにかかってくるでしょう。
そしてできない理由を突きつけられるはずです。
『卒業したら何するの?』とか『将来何するの?』と質問する人の大半は、 『将来何の仕事に就いてお金を稼ぐの?』ということを指していることが多くて、 その人自身の願望とか、理想とか、夢とかを聞きたいわけじゃないんだなーと感じることが多いです。
「夢」を決めること。そしてそれを納得するのが得意なように育てられた。
周囲の人に将来のことを聞かれるのは怖いです。少なくとも僕はそうです。
おそらく、ほとんどの人がそうです。将来のことなんてわからないから。
幼稚園〜高校までの間、学校で「将来の夢」を書かされたことがあるかと思います。
「白紙」で出すと当然怒られます。夢がなくても、夢を書くことを強制されているのです。
そうすると、怒られないように、ありきたりな夢を書くわけです。
そうして何度も書いたり、言ったりしていると、それが夢だと錯覚し始める。
そういう教育を受けてきた私たちは、夢かどうかわからないことを「夢」として納得することが得意です。
質問に対しては「答え」を用意する必要があると思い込んでいます。
大学4年生の時点で本当にやりたいことがある人なんてそういないのにもかかわらず、 いろんな人の圧力で「私は◯◯がしたいんです!将来は◯◯になります!」というようになる。
言っているうちにだんだん納得していってしまう。
肩書きを手に入れることは、こわい。
そうして、大学を卒業して何かしらの仕事につく。
すると、もう「将来何がしたいの?」とは聞かれなくなるはずです。
小学校の先生をしている人に対して「将来何がしたいの?」とは聞かないし、 聞いたら「いや、今、将来したかった学校の先生してるから、、、」と言われ何言ってんのコイツと思うでしょう。
学校の先生、公務員、主婦、サラリーマン、なんでもいいです、何かしらの肩書きがある人は、 「やりたいことが何なのか」「将来の夢は何か」と聞かれることも、考えることも少なくなるでしょう。
逆にいうと肩書きがあるからこそ、「将来の夢」とか「やりたいこと」とかを考える必要がなくなります。
そして肩書きに安心するでしょう。
そういう何かしらの肩書きのある人は、ない人に対して、「将来何がしたいの?」と聞く。
そして多分次は、「いつ結婚するの?」と聞かれるようになるはずです。
職業は手段でしかないはず。
職業は夢や願望を叶えるための「手段」でしかないはずです。
なのに、『職業自体が「目的」だった』と考えるようになる人が多い。
誰でも知ってる職業の先生を例にあげます。
今まで出会った先生は、重複が多少あるにしても、12人います。
その先生の中で「夢」があった人(それに気づいた)は一人だけです。
先生になるために先生になったわけではなく、「俳句」を続けたい、 「俳句をより多くの人に教えたい」という明確な目的があったわけです。(僕は認識しています。)
やはりそういう先生は、何か惹きつけるものがあるし、言葉にも重みがあります。
どういう生き方がしたいの?と聞いてほしい。
「あなたの夢はなんですか?」と聞かれると、何か大きなことを言わないといけないのかなと身構えてしまいます。 職業は、「どういう生き方がしたいのか?」の手段にしか過ぎないです。
だからこそ、どういう「生き方がしたいの?」と聞いてもらいたいです。
僕は、「田舎で暮らしながら、たまに都会に行く生活で、自分が好きで得意な、WEBとデザインと料理に関われる仕事で、若い人たちと地域をつなげる活動をして生きていきたい。いつでもどこでも行けるように軽やかな生き方」をしたいです。
だからこそ「何者」かになることを強制されるのは、嫌だし怖いです。 だから「何者」かにはなりたくない。
就活中に読んじゃだめな本。
誰かに貸してまだ返ってきていない「何者」
2年前くらいに一日でイッキに読んでしまって、SNSを使うのが怖くなった一冊。
「ツイッターで何もつぶやけなくなってしまった。」ということを ツイッターにつぶやきたいけど、つぶやけなくなる一冊です。(読めばその気持ちがわかるはず。)
[adsense]
コメントを残す